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http://ised.glocom.jp/ised/07080514 より

以下、高木浩光氏、fjやJava-House ML時代の自分の煽り癖の真相を語る。感慨深いものがありますね。

東浩紀(以下、東):
 ところで、そろそろ高木さんからも意見を伺いたいのですが。

高木浩光(以下、高木):
高木浩光
 まず炎上にいたる理由についての議論があったと思うんですが、これは単に盛り上がっているわけではないと思うんですね。どうも炎上をいろいろ見ていると、メタな議論というか、元の議論からは外れた突っ込みあいになっている。

東:
 なるほど。

高木:
 たとえばこういう構図です。炎上を受けている側は、「発言者の人格に対する攻撃だ」と感じている。しかし突っ込みを入れている側は、相手のブログ主やネタ元に対して、ある種の議論のやり方を強制したいと思っている場合が多いのではないか。すべてがそうではないと思いますが。

 これは加野瀬さんのいう「炎上の原因=ネットの議論に不慣れ説」というものに関係していて、つまり、不慣れな発言には予想通りの反応がきてしまうんですね。注目されて大変なことになっているときに、ああ、これままずいことを言っているなあと思うと、ワーっと炎上してくる。これを眺めているだけの人もいますが、「そういうやり方をしなければいいのに」という思いがあって、そのことを理解していただくために、ますます当事者に突っ込みを入れていくという人がいる。

東:
 それは突っ込みをする側のお話ですね?

高木:
 ええ、そうです。あまり共感する方はいないのかな。私が炎上しているところに行く場合は、そういう観点なんです(笑)。

東:
 なるほど。つまり、高木さんは、小倉さんのように炎上させられる側ではなく、炎上させる側に立って話をしているわけですね(笑)。予想外だったので、すぐに対応できませんでした。これは新しい展開ですね……。

高木:
 いまチャットログを見ますと、「メタな議論で炎上する」というのは、従来のフレーミングの議論とどう違うのかというご指摘がありました。

 たとえば古いインターネットの時代のころ、学術系ネットワークだけで閉じていた「fj」*1というニュースグループには、独特の文化があったと思います。たしかにそこには、あえてメタな議論を生み出すルールがありました。たとえば「それは常識だ」というような発言に対して、非常に強い反発の発言などが多数あった。それはアカデミアたる者、議論のやり方はこうあるべきだ、という規範意識があったからだと思うんです。つまり、権威に対して反発し、本当の議論をしましょう、と考えていた。ある種の討議のユートピアのようなものですね。しかし、いまではインターネットにいろいろな人が来るようになってしまったので、そうしたユートピアの夢は潰えてしまった。

以下、http://ised.glocom.jp/ised/07110514より

高木浩光
 私自身もそれを経験しています。かつてメーリングリストを運営していたんですが、そのなかで私は主催者であるにも関わらず、いろいろとフレームを起こしていました(笑)。なぜかというと、そこでの独特の作法をつくることで、質の高い議論を維持したいという狙いがあったからです。しかし、それは当然そのメーリングリストの内側で期待していたものであって、ほかは自由なんです。そうやって運営しているうちに、2000年の夏ごろ私のスレが2ちゃんねるに登場しました。それができた理由というのは、やはり私の方針に対して窮屈だと思っている人たちがいたからでした。ただ、こうしたほかのやり方があるのは当然であって、2ちゃんねる2ちゃんねるのとおりにやればいいわけですね。