サンスティーンを読んで

インターネットは民主主義の敵か

インターネットは民主主義の敵か

大変に面白く、強い知的刺激を受けた。*1
(以下に感想を述べるが、社会科学的な素養が不十分な者の勝手な妄想であり、不正確な点がある可能性に留意してもらいたい)


この本は訳者あとがきの冒頭にある通り、

アメリカ有数の憲法学者である著者が、インターネット時代の民主主義のあり方に想いをめぐらせた結果が本書(原題Republic.com)である。

という本であるが、個人的には「社会における人間の自由とは何か」をブレインストーミングするきっかけが揃っている本、として読めた。

国家の話にはあまり興味がなかったので「自由」をめぐる社会学的議論にも今まではあまり興味がわかなかった。しかし、実は自由のための政治をめぐる議論は、たとえば「より活発なネットコミュニティを作るにはどうすればいいか」といった個人的に身近な課題を考えるための思考実験として非常に有用であることがこの本を通して感じられてきた。

著者は共和主義の立場から、個人の嗜好に合わせて情報をフィルタリングする昨今のネットサービスの風潮(=デイリー・ミー*2)を批判する。個人の嗜好に固執、あるいは同じ嗜好を持つ集団内に閉じこもっているとやがてその嗜好の延長線上にある極端な立場にまで暴走(サイバー・カスケード*3)してしまい、深刻な分裂を生んでしまうという論理だ。そうなると民主主義社会にとってもリスクになるし、個人の思考能力も劣ってしまい、結果として「自由*4」は失われてしまう。それを防ぐために、「自分が恣意的に選ばなかったものに触れる機会」や「人々の間でさまざまな共通体験を持つこと」が重要であると説く。*5
これだけ聞くと、「なんだ、反社会的な個人や集団を否定する保守主義か」と思ってしまうかもしれない。だがむしろ、個人や集団が異質な価値観を持つことは奨励している。多様な価値観が共存する「自由」な社会の源泉になるからである*6。ただし、それが完全に孤立してしまうことは危ない、と述べている。ある時点で反対意見の人たちとの意見交換をする可能性を高めるべきである、と。

これはつまり、社会学のメインテーマである「個人と社会との関係」をめぐるひとつの最適解*7のように私には読める。つまり、個人が「個」を維持しつつも、「他者とのコミュニケーション」も怠らないようにし、「全体」との接続可能性も考えるべき、という解である。つまり、利己でありつつも利他である、オープンでもクローズドでもない、ある種の「セミクローズドな存在」こそが最も理想的な存在である、ということだ。人は「同じ」であるべきなのか「違う」べきなのか、という問い。一般化すべきなのか、固有であるべきなのか。社会化すべきなのか、動物化すべきなのか。共有すべきなのか、孤立すべきなのか。開くべきか、閉じるべきか。公的であるべきか、私的であるべきか。社会か、個人か。市民か、消費者か。マクロか、ミクロか。鳥の目か、虫の目か。こうした問いに対して、「いや、両者の中間であるべきだよ(両者の間での積極的な往復運動こそが大事だよ)」という端的な答えが本書には示されているような気がしてならない*8。そしてたとえばisedで議論されているようなインターネット社会の理想的な形態というのも、最終的にはそこに近い立場に向かうような予感がしている。*9

ただし、「個と全の間の往復運動が活発な中間形態(メゾレベル)こそが理想的だ」というだけでは答えになってないことも確かである。「なめらか」というのもそれに近い。多様性を確保するメゾレベルを具現化できる形態とはどのようなものかを、具体的に議論していく必要があるだろう*10。その意味で、上に述べたさまざまな二つの対立軸も実に雑な軸の立て方である。広く「全」と「個」を示す対立軸であるとしても、個別に吟味していく必要はあるだろう。*11

といったところで思考の限界が来ているので明日のGlocom Forum 2005に期待したい。

追記

http://ised.glocom.jp/ised/20041030

ised理研第一回を改めて読み直してみて、自分の発想の確かさ*12と至らなさを実感。自由をめぐる思想史的な系譜について、壮大にかつ明快に*13議論されているなぁ、と感慨を持つ。
サンスティーンをきっかけとすることで改めてサイバー保守主義の意味合いがよくわかった気がするし、思想が持つジレンマのようなもの*14も実感レベルで何か感じてくる。意思決定主導のビジネス、アイディア主導のシステム設計とはまた違った複雑さを持つ思考のゲームですね。面白いです。

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*1:isedキーワード:サンスティーン

*2:isedキーワード:デイリー・ミー

*3:isedキーワード:サイバー・カスケード

*4:特に言論の自由

*5:健全な社会のために、人がもっと偶然の出会いをしたり、対話したりする機会を設けるべきという話だ

*6:その文脈で、情報のフィルタリングも否定はしていない

*7:ただし「最適解」という発想もそれ自体、では最適解以外を認めていくのかいかないのか、という議論を必要とするだろう

*8:本書で議論されている討議型民主主義というのも、個人を尊重しつつ、個人間のコミュニケーションや偶然の出会いを活発化させる「広場」も設けるべきといった雰囲気の立場である

*9:isedキーワード:サイバー保守主義を見るとこの発想に近い気がしますね

*10:でも具体的な話をするのも現状をたたき台に議論するしかないから、難しいところだよね。結局現状といえばmixi2ch、ブログ、はてなあたりの話になるのだろうし。というかisedではそうなってる。今ない、ある程度理想的なサービスを考案するのは案外難しくはないけど、でもその実際の効果までを皮算用するのは難しい

*11:また「価値の多様性を否定する価値は多様性のなかで認めるべきか」といったメタ化も避けられない問題である。対立する「A⇔B」を包含する「C(A⇔B)」があるとしたら、ではCを否定するものはどうなるのか、と。やはり多様性のなかで存在する価値には制約があるという、一見矛盾を孕んでいるけれども仕方がない、という点は認めるべきだろう。

*12:いい線は行ってるかもしれない、という

*13:そしてたぶんそれなりに包括的に

*14:偏っていることは何かしらの取りこぼしを生んでしまうが、それは必然であり、議論を誘発することに意味があるというような。うまく云えませんが